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うそでしょ?経麻朗さん!

悲しいお知らせが届きました。
本当はNYBBの報告を書こうと思っていましたが
今日は書けません。


経麻朗さん


最初に会ったのは市政〇年のイベントだったような、、、
地元ビッグバンドが経麻朗さんの作った曲を
演奏したのが最初だった気がします。


ずいぶんがっちりして怖そうな見た目
でも話をすると全然違って
そのギャップにホッとしたものです。(笑)


その後何年か経った後
ある方のお別れ会で
また地元ビッグバンドのメンバーとして
経麻朗さんと共演しました。


そのころ、アドリブを勉強し始めていた私に
柏崎のNICA夫人ことM子さんが
経麻朗さんと私のDUOという
とんでもない企画を持ってきました。


本当であれば、そのビッグバンドでもっと上手な人がいて
順当に指名されるなら私じゃないはずなのに
でも、せっかくのM子さんの企みに、私は怖々のりました。


知ってる曲はグリーンドルフィンとマイワン。
そんな私に経麻朗さんはHow Insencitiveはどう?と
楽譜をくれました。
美しいメロディが気に入って
その曲とマイワンをやることにしました。


はじめて、大きな舞台でセンターに立ち
はじめて、ギターの一流プロミュージシャンと演奏しました。


神様が降りてきました。


人前でジャズを演奏するということは
人間性が丸裸になるんだと
体感しました。
こんなに私の素の姿があらわになる
こんなに恥ずかしいことはない
でもそれでも演奏しなくてはならない


えーいっ!
そんなわたしをみせてやれっ!


すると、経麻朗さんのギターの音が
後ろから全てを包み込むように聞こえてきて
それでいいんだよ、安心して吹いていいんだよと
言ってくれているように思えて
全て自由になって吹きました。
音、、空間、、、スピリチュアルな目に見えない何かが
絶対にそこに存在しました。
実力以上の奇跡的な演奏になりました。


『キミとは1拍目がなくてもいいような気がしたんだ』


アドリブ初心者の私にとって
なんという誉め言葉!
わすれられません。


ライブが終わってからも
この不思議な体験が忘れられず
その後毎日のようにふたりで「ICQ」で
話していました。
(ICQ、、、我ながら懐かしいワード。)


『後はスピード感だよ』
そう言われました。
未だに改善されてない。。。


私が初めて新潟ジャズストリートに出たのも
経麻朗さんにこの時誘われてのことでした。


私が仕事を辞めた時も
経麻朗さんのドリーム音楽院で
サックスを教えないか?と
持ちかけてくださいました。


それ以降、細々と続けてきました。


また、ある時
ライブやるときには私にも声をかけてください
とお願いすると


『マミちゃんがリーダーになってボクを誘ってよ』とか
『これからはどんどん自分がリーダーになってやっていかなくちゃ』と
言われました。
でも結局、私のような万年初心者が
経麻朗さんにライブをお願いするなんて
身の程知らずだと思っていたので
実現することはありませんでした。


シュクラでのお仕事でも
私が乗った日は
『マミちゃんとだったらやっぱりマイワンだよ』といって
電車の中、やたら揺れるしうるさいし
マイワンなんてちょっと合わないかなと思うけど
経麻朗さんのイントロが聞こえてくると
ああ、またこうやって経麻朗さんとマイワンを演奏するんだなーと
最初に市民会館大ホールで演奏した時のことを思い出して
演奏しました。
(でも、やっぱり電車のなかは集中できないっ!)


まだまだ思い出は尽きないのですが
そして
経麻朗さんがもういなくなってしまったなんて
まだ信じられない、信じたくないのですが
香典もお花も辞退するという奥様の言葉を見て
こちらでマイワンを吹きたいと思います。



経麻朗さん
お世話になりました。
今の私があるのも、経麻朗さんのおかげです。
お空の上から新潟のジャズ界、音楽界を
見守っていてくださいね。
でもでも、、早すぎます。。
合掌


コメント
[1] 庵爺 | 2018/12/27 16:53
経麻朗さん亡くなられたんだそうですねぇ。私もカムフィーで2回演奏して頂いたんですけど、控室でお話ししていた時、どこかひょうひょうとしているけど内に秘めてる強さを感じたのを覚えています。ご冥福をお祈りします。
[2] mami | 2018/12/30 00:42
〉庵爺さん
カムフィーでも演奏されていましたね。今日になっても受け入れがたいのですがどうしましょう、、、(>_<)
name.. :記憶

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